御供所城 | 後に松江城主となる堀尾吉晴の生誕地
愛知県丹羽郡大口町御供所城(ごくしょじょう)跡は、豊臣政権中老のひとりである堀尾吉晴の生誕地といわれるお城です。別名・堀尾屋敷。
歴史
一説によると堀尾氏は天武帝の流れを汲む高階(たかしな)邦経を祖としており、忠泰の代に【堀尾】姓を名乗ったそうです。
その後、六代目が堀尾泰晴という人で、岩倉城を拠点とする岩倉織田氏の重臣で吉晴の父でもあった人物です。
岩倉織田氏は永禄二年(1559)に織田信長により滅ぼされ、主家を失った堀尾親子は信長に仕えて羽柴秀吉の配下になります。
吉晴は以後、秀吉と共に各地を転戦、浜松十二万石の大名となり、豊臣政権中老のひとりとしても数えられ、関ヶ原合戦後は出雲国二十四万石の大名となり松江城を築きました。
感想
『仏の茂助』こと堀尾吉晴の生誕地であるこの場所は、現在では八剣神社となっており、また北にある川の向こうには堀尾金助ゆかりの裁断橋が公園化して、整備されています。
園内にはモニュメントや、小田原出陣の際の『裁断橋』のエピソード等、堀尾氏にゆかりの深い展示物がありました。
お城、屋敷跡としての遺構はよくわかりませんでしたが、神社を取り囲む水路がもしかすると堀の跡なのかな?とも思いました。
八剣神社内にある堀尾金助と母の銅像。小田原の陣に向かう様子が描かれています。
これが裁断橋のエピソードのはじまりを現しているんですね。
これが八剣神社を取り巻く水路。ここは武将の館跡なので、もしかするとかつての館を取り囲んでいた堀の名残なのかもしれませんね。
川の向こうには裁断橋のエピソードを紹介した公園があります。
裁断橋は熱田にあった橋ですが、堀尾氏ゆかりのこの地で再現してあるのもおもしろいですね。
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