幡豆寺部城 | 小笠原諸島を発見したといわれる小笠原氏の三河時代の居城
かつての三河国だった愛知県西尾市の幡豆寺部城は、戦国時代にこの地に勢力を持っていた小笠原氏の居城跡です。
歴史
寺部城は戦国時代に幡豆小笠原氏の居城となったお城のひとつ。別名・幡豆城。
築城時期ははっきりしておらず、一説によると永正十一年(1514)に早川三郎がいた寺部城を小笠原安芸守が攻略して入城したといいます。
永禄初期(1560前後)家康が小笠原氏を攻め、後に小笠原氏は本多忠勝の勧めで家康に属し、その後各地を転戦。
元亀元年(1570)姉川の戦い、元亀三年(1572)三方原の戦い、天正三年(1575)長篠の戦いなどで活躍します。
天正十八年(1590)家康の関東移封に従い、小笠原氏も上総国周淮郡(かずさこく すえぐん:現在の千葉県君津郡および富津市)に領地をもらい寺部城は廃城となりました。
ちなみにその時、小笠原諸島を発見したといわれ、小笠原氏の名前が付いたとか(異説がありますけど)。
感想
寺部城は現在、半分私有地で半分が城址公園になっています。
三河湾を見渡せる平山城で、堀・土塁・曲輪跡が残っています。特に北側には横堀があり、土塁を築いてから堀を作る等、やたらこの方面の防御を意識していた事が伝わります。
南は海になっており、海上交通を押さえていたお城という事が分かりますよね。
あと発掘調査により、お城の南側(海側)のふもとに館跡が存在したことが確認されています。
そして浅野文庫の城絵図により、現在の海辺の住宅地付近には、かつての城下町を想わせるヤシキが存在していました。
私の感想ですが、寺部城はお城初心者もお城に詳しい人にもオススメの城だと思います。
その理由は程よい比高(20m)と、分かりやすい遺構の残り具合です。
所要時間は30分もあれば十分だと思います。
かつての堀は現在通路となっています。堀だった通路の上には本丸があり、この高低差です。
本丸から見るとよく分かるのですが、この堀は本丸を半円形にぐるりと取り巻いているんですよね。ちなみに私の身長は150cmです。
本丸跡は削平地になっており、北と東に土塁があります。土塁の向こう側は掘なので、堅固さが伺えますよね。ちなみに土塁の上には柵も再現されています。
本丸の手前に配置されている二の丸。しかもその下にはさらに削平地がありました。曲輪でしょうか?
本丸からは三河湾を見渡せます。
寺部城の南側(海側)には城下町があったといわれていますし、小笠原氏は水軍を持っていたので、ここから見える三河湾には、貿易船やら水軍の軍船やらが行き来していたのでしょうか。
今では静かな海です。
愛知県中世城館跡調査報告U西三河地区より
作図者 石川浩治 氏
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