欠城 | 寺部城とセットで機能していた幡豆小笠原氏の居城
かつての三河国で、現在の愛知県西尾市寺部町に残る欠城址は、幡豆小笠原氏の居城のひとつです。別名・磯城、幡豆城、西戸城。
歴史
欠城の築城年代は不明ですが、安泰寺過去帳によると、『永正十一年、小笠原摂津守欠村城主長重公』とあり、永正年間(1504〜21)には城があった事がわりかます。
永禄六年(1563)の三河一向一揆の時、小笠原一族は家康方に味方しており、当時の欠城主・小笠原新九郎安元は、欠城を安堵されています。
感想
欠跡は西幡豆字貝吹にある通称・穴観音という古墳の南西に隣接した場所にあったそうで、古墳がお城跡ではありません。現状宅地。
この古墳は奈良時代の土豪・三宅民部正信が埋葬されていたそうで、正式名称は『貝吹古墳』。現在でも地元の方によって、手厚く祀ってあります。
またこの古墳から海に下る坂があるのですが、民部坂という名前が付いています。これは欠城主・小笠原民部丞左衛門(おがさわら みんぶのじょうざえもん)の名前から付いたと地元の方から聞きました。
あと欠城は単体のお城ではなく、寺部城とセットで機能していたみたいです。
この事に関しては、愛知中世城郭研究会の会員で、岡崎市文化財保護委員の奥田敏春氏も、2013年12月に西尾市幡豆町公民館で行われた【寺部城を考える〜城跡の堀と土塁】という講演会で指摘されていました。
俗に言う別郭一城の城という事でしょうか。
欠城と寺部城の間に、字市場、字浜屋敷、字馬場といったお城の関連地名が残されている事も興味深いですね。
欠城近くの字市場。現在では住宅地ですが、かつてはお城の城下町(市場)があったのではと思われる場所です。
穴観音から海に下る坂道には、民部坂という名前が付いています。これはかつての城主から付いた名前だそうです。
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