高力城 | 三河三奉行のひとりで仏高力と呼ばれた高力清長の居城跡




高力城 | 三河三奉行のひとりで仏高力と呼ばれた高力清長の居城跡

 

 

愛知県額田郡幸田町の高力城跡は、三河三奉行のひとりで仏高力と呼ばれた高力清長の居城跡です。

 

 

 

 

 

歴史

 

高力城は高力氏代々の居城で、高力清長の生誕地ともいわれています。

 

 

高力氏は松平氏に仕えていましたが、天文四年(1535)に主君だった松平清康(徳川家康の祖父)が守山城で亡くなると、尾張の織田氏が三河に攻めてきました。

 

 

この時、清長の祖父と父も亡くなり、6歳だった清長は叔父・重正に養育され、後に松平広忠に仕えます。

 

 

その後、徳川家康に仕え、三河一向一揆後の永禄八年(1565)には、本多重次や天野康景らと共に三河の三奉行に任命されます。

 

 

それからも清長は家康と共に各地を転戦。そして家康の関東移封に従い武蔵岩槻に移り高力城は廃城となりました。

 

 

 

 

 

感想

 

高力城跡は宅地となってしまい、お城の遺構は残っていませんが、大字高力字熊谷の川筋にお城跡を示す石碑があります。

 

 

私の感想ですが、遺構は残っていなくても、こうした石碑が建っていると、お城跡と分かりやすいので巡る時も助かると思いました。

 

 

また高力清長は派手な武名は残していませんが、温厚な人柄で諸将にも親しまれ、敵方になる豊臣秀吉からも気に入られるほどの武将でした。

 

 

 

 

 

 

温厚な人柄で親しまれた高力清長ですが、彼は正直者としても有名なエピソードを残しています。で知られていたが、それを示す逸話も多い。

 

 

岩槻2万石に転封になった際、家康から1万石の所領を預けられました。

 

 

当時、預け地から得られた収入は、そのまま管理する大名がもらえたのですが、清長は『家康様より預かっているのだから】といって、預け地から得られた年貢は1度も手を付けず、江戸に運ばせています。

 

 

また文禄の役の時、軍船建造を担当した清長は、建造後に余った予算・金20枚を家康に返そうとしました。

 

 

その時、清長の正直さに感激した家康は、その余った金20枚をそのまま褒美として清長に与えましたとさ。

 

 

所在地  幸田町大字高力字熊谷

 

立地  平城

 

築城時期  室町前期

 

築城者  高力氏

 

主な城主  高力清長

 

現状  宅地

 

地図


関連ページ

幸田町坂崎に残る平岩氏の坂崎古城と天野氏の坂崎城
かつての三河国だった愛知県額田郡幸田町坂崎には2つのお城跡があります。それが平岩氏の坂崎古城と天野氏の坂崎城です。この記事では坂崎古城と坂崎城の歴史と現地レビュー、そして訪れてみた私の感想を書いています。
久保田城 | 三河一向一揆で石川正俊が一揆方として籠城したお城
かつての三河国だった愛知県額田郡幸田町の久保田城は、三河一向一揆で石川正俊が一揆方として籠城したお城です。この記事では久保田城の歴史と現在の様子、そして巡ってみた私の感想を書いています。
大草城 | 岡崎城を築いた西郷氏のお城跡
かつての三河国だった愛知県額田郡幸田町の大草城は、岡崎城を築いた西郷氏のお城跡です。この記事では大草城と西郷氏の歴史、そして大草城の現地レビューと私の感想を書いています。
東部城 | 桶狭間合戦後に酒井正親が築き小牧長久手合戦で改修されたお城
かつての三河国だった愛知県額田郡幸田町に残る東部城は、桶狭間合戦後に酒井正親が築き小牧長久手合戦でも改修されたお城です。この記事では東部城の歴史と現在の様子、そして訪れてみた私の感想を書いています。
岩堀城 | 室町幕府の奉行衆だった岩堀氏の屋敷跡
かつての三河国だった愛知県額田郡幸田町に残る岩堀城は、室町幕府の奉行衆だった岩堀氏の屋敷跡です。この記事では岩堀城の歴史や現在の様子、そして私の感想を書いています。
荻城 | 松平氏に仕え一向一揆の時に離反した内藤清長の居城跡
かつての三河国だった愛知県額田郡幸田町に残る荻城跡は、松平氏に仕え一向一揆の時に離反した内藤清長の居城跡です。この記事は内藤氏の歴史と荻城の詳細、また現地を巡ってみた私の感想を書いています。
額田郡幸田町深溝にあった3つの深溝城
かつての三河国だった愛知県額田郡幸田町深溝(ふこうず)には、3つのお城がありました。どれも深溝城といいますが、この記事ではその3つの深溝城の歴史と現地レビュー、そして訪れてみた私の感想を書いています。
額田郡幸田町野場にあった2つのお城それが野場西城と野場東城
かつての三河国だった愛知県額田郡幸田町には2つのお城がありました。それば野場西城と野場東場です。この記事では野場西城と野場東城の歴史と現在の様子、そして私の感想を書いています。
三方ヶ原合戦で徳川家康の身代わりとなった夏目吉信の六栗城跡
かつての三河国だった愛知県額田郡幸田町に残る六栗城は、三方ヶ原合戦で徳川家康の身代わりとなって討ち死にした夏目吉信の居城跡です。この記事では六栗城や夏目吉信の生涯の歴史、そして現地レビュー、と私の感想を書いています。
大久保陣屋 | 三河物語の著者・大久保彦左衛門の陣屋跡
かつての三河国だった愛知県額田郡幸田町に残る大久保陣屋は、三河物語の著者・大久保彦左衛門の陣屋です。この記事では大久保陣屋の歴史のほか、現地を訪れてみた私の感想を書いています。

ホーム RSS購読 サイトマップ