江南市・大口町




江南市・大口町のお城記事まとめ

小折城 | 織田信長側室・吉乃の実家のお城

愛知県江南市の小折(こおり)城跡は、もともと生駒(いこま)屋敷といい、戦国時代、この地に勢力を持っていた生駒氏のお城で、織田信長の側室の吉乃さんの実家でもあります。歴史生駒氏は藤原忠仁の子孫で、大和国(現在の奈良県)生駒山麓谷口村に住んでいましたが、応仁の乱の戦乱を避けて尾張へとやってきたそうです。...

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埴原屋敷 | 信長の家臣だった埴原加賀守常安の屋敷跡

埴原,屋敷,信長,家臣,加賀守,常安,清州,六角堂 愛知県江南市の埴原(はいばら)屋敷跡は、織田信長に仕えた埴原加賀守常安の屋敷跡と伝わる場所です。歴史【尾張志】によれば、埴原加賀守はもともと甲斐国(現在の山梨県)の人で、諸国巡礼の旅の途中で尾張へやってきて、ひょんな事から信長と知り合い仕える様になりました。八条流鏑馬の名手でもあり、清州城代も務めた...

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宮後城 | 蜂須賀家政の生誕地といわれるお城

宮後城,蜂須賀家政,生誕地,城,江南市 愛知県江南市の宮後(みやうしろ)城跡は、蜂須賀氏のお城のひとつで、蜂須賀小六正勝の嫡男・家政はここで誕生したといわれています。別名・蜂須賀氏屋敷、宮後砦。歴史宮後城の築城は古く、応永年間(1394〜1427)頃、美濃と尾張を併せて治めていた土岐氏の家臣・安井氏が城代として守っていたらしく、その後、代...

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五丁堀砦 | 前野義康が守った小牧長久手合戦の砦

愛知県江南市の五丁堀砦跡は、小牧長久手合戦時の砦跡といわれています。歴史天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦時に織田・徳川連合軍の砦のひとつとして、前野義康が300の手勢で守ったといわれる砦です。五丁(545m)の掘割があったのでこの名前が付いたそうですが、その堀がどのようになっていたのかは不明...

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武馬屋敷 | 近畿地方からやって来たといわれる武馬氏の居城

愛知県江南市の武馬屋敷跡は、近畿地方からやって来たといわれる武馬氏の居城といわれています。別名・吹付屋敷。歴史いつの頃か定かではありませんが、近畿地方からやって来た武馬氏がこの地に勢力を持つようになり、その館跡が武馬屋敷として歴史に残ったみたいです。武馬氏は領民の協力を得て井戸を掘り、屋敷周辺に土塁...

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小口城 | 尾張国守護代だった織田氏一族の居城

愛知県丹羽郡大口町の小口城跡は、室町時代に尾張国守護代だった織田氏一族の居城で、尾張統一を目指す織田信長に攻め落とされました。また天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦でも使用されたお城です。別名・箭筈城(やはずじょう)、信長公記には於久地城の名前で記載されています。歴史小口(おぐち)城は、室町時...

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御供所城 | 後に松江城主となる堀尾吉晴の生誕地

御供所城,松江,城主,堀尾,吉晴,屋敷,生誕地 愛知県丹羽郡大口町御供所城(ごくしょじょう)跡は、豊臣政権中老のひとりである堀尾吉晴の生誕地といわれるお城です。別名・堀尾屋敷。歴史一説によると堀尾氏は天武帝の流れを汲む高階(たかしな)邦経を祖としており、忠泰の代に【堀尾】姓を名乗ったそうです。その後、六代目が堀尾泰晴という人で、岩倉城を拠点とする...

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中島城 | 小口城の出城ともいわれる中島氏の居城

愛知県丹羽郡大口町の中島城跡は、小口城の出城ともいわれるお城で、中島氏(中嶋氏)の居城と伝わります。歴史詳しい資料も文献も見当たらない中島城ですが、天保年間(1830〜44)の村絵図には、【中島左兵衛尉城跡】という名前で記載されているそうです。また【尾張の古城】の著者である笹山忠氏によれば、永禄五年...

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