小牧市




小牧市のお城記事まとめ

小牧山城 | 織田信長時代の石垣が残る山城

愛知県小牧市の小牧山城は、永禄三年(1560)の桶狭間の合戦後、織田信長が美濃国(現在の岐阜県)攻略の為に築いたお城。また天正十二年(1584)の小牧・長久手合戦では、織田信雄・徳川家康連合軍の本陣が置かれた場所でもあります。歴史桶狭間合戦後、岡崎城で今川氏から独立した松平元康(後の徳川家康)と同盟...

≫続きを読む

 

岩崎山砦 | 小牧・長久手合戦の時に稲葉一鉄が守った砦

愛知県小牧市の岩崎山砦跡は、天正十二年(1584)小牧・長久手合戦時、羽柴方の砦。この砦を守っていたのは、稲葉一鉄父子と四千の兵だったと伝わります。歴史岩崎山砦は、小牧山と望む事ができる立地にあり、小牧・長久手合戦では重要な場所だったと思われます。秀吉を信雄の講和後後は廃城となりました。感想砦があっ...

≫続きを読む

 

久保山砦 | 秀吉も訪れた小牧・長久手合戦の砦

愛知県小牧市の久保山砦跡は、天正十二年(1584)小牧・長久手合戦時の羽柴方の砦です。歴史小牧・長久手合戦の時に使用されたという記録が残りますが、詳細な築城時期は不明。久保山砦の守将は丹羽長秀、蜂屋頼隆、金森長近の三武将。また合戦後、秀吉自ら軍を率いて、この砦に来たので【太閤山】の名が残っています。...

≫続きを読む

 

小松寺山砦 | 後の関白豊臣秀次が小牧・長久手合戦時に守った砦

愛知県小牧市の小松寺山砦跡は、天正十二年(1584)に起こった小牧・長久手合戦時の羽柴方の砦のひとつ。丹羽長秀・三好秀次が布陣したと伝わります。三次秀次は、後の関白豊臣秀次です。歴史小牧・長久手合戦時に小松寺山砦を守っていた秀次は、この後、池田恒興らと共に家康の岡崎城を奇襲する三河中入り(みかわなか...

≫続きを読む

 

田中砦 | 堀秀政ら1万3千人が布陣した羽柴方の砦

愛知県小牧市の田中砦跡は、天正十二年(1584)小牧・長久手合戦時、秀吉方が築いた砦のひとつです。歴史【尾陽雑記】によると、田中砦の守将は、蒲生氏郷をはじめ、堀秀政、加藤光泰、細川忠興、長谷川秀一の名前が残っており、兵数は約1万3千人だったとか。規模は東西約30m、南北約36mで、高さ約1・5mの土...

≫続きを読む

 

二重堀砦 | 日根野弘就兄弟が守った小牧・長久手合戦の砦

愛知県小牧市の二重堀砦跡は、小牧・長久手合戦の羽柴方の砦のひとつ。守将は日根野弘就と、弟の盛就。歴史秀吉と家康の最初で最後の合戦である、小牧・長久手合戦時の秀吉方の最前線の砦。この砦を守っていた日根野弘就は、かつて斉藤家に仕えており、後に織田信長に馬廻(うままわり)衆として仕えています。その後、羽柴...

≫続きを読む

 

蟹清水砦 | 尾張上四郡を統治した織田信安のお城

愛知県小牧市の蟹清水砦跡は、かつて尾張上四郡を統治した織田伊勢守系・織田信安の城です。天正十二年(1584)年に起こった小牧・長久手合戦の時には家康・信雄連合軍の砦となりました。歴史かつて尾張国の上四郡を統治した守護代・織田伊勢守系である織田信安のお城でした。信安は家督を継いだばかりの信長に破れ、こ...

≫続きを読む

 

小木城 | 織田宰相秀雄の居城らしいですが年代が合わないお城

愛知県小牧市の小木(こき)城跡は、織田信長の傅役(もりやく:教育係の意味)だった平手政秀ゆかりの小木村にあったお城です。城主は織田宰相秀雄。歴史『張州府志』に記載があるお城で、永正年間(1504〜21)に織田宰相秀雄が居城したそうです。それ以外の詳細は不明です。別名 織田宰相宅 古木城。古くから開け...

≫続きを読む

 

北外山城 | 織田与四郎信安の居城で小牧の陣で本多忠勝が守った砦

愛知県小牧市の北外山(きたとやま)城跡は、織田信安の居城で、廃城後に小牧・長久手合戦で徳川方の砦になった城跡です。歴史築城年代は不明ですが、蟹清水砦と同じく戦国時代に尾張北部に勢力をもっていた織田伊勢守系の織田与四郎信安の居城だったと伝わります。規模は東西約50m、南北約36mほどで、高さ2mほどの...

≫続きを読む

 

宇田津砦 | 小牧長久手合戦で織田・徳川連合軍の最前線になった砦

愛知県小牧市の宇田津(うたつ)砦跡は、天正十二年(1584)に起こった小牧・長久手の合戦時の徳川・織田連合軍の砦です。哥津砦、または不発と書いて『うだつ』とも。歴史徳川・織田連合軍の砦として築かれた宇田津砦は、羽柴方の最前線であった二重堀砦に近く、しばしば小競り合いがあったそうです。ちなみに守将は松...

≫続きを読む

 

南外山城 | 堀尾孫助の居城で小牧長久手合戦で再利用されたお城

南外山城 愛知県小牧市の南外山城(みなみとやまじょう)跡は、堀尾孫助の居城と伝わり、廃城後、天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦で再利用されたお城です。歴史南外山城の城主は、堀尾孫助という人です。またお城があった時期ですが、戦国時代よりかなり以前の1300年代くらいの事。なぜかというと、次の2つの事から推...

≫続きを読む

 

上末城 | 尾張二之宮の祠官・重松秀村の三男、落合将監の居城

落合将監の墓 愛知県小牧市の上末城跡は、尾張二之宮の祠官・重松秀村の三男、落合将監の居城といわれるお城です。天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦後、廃城になりました。歴史上末城の築城は文明年間(1469〜87)といわれ、城主は足利将軍の一族といわれ、尾張二之宮の祠官・重松秀村の三男、落合将監という人です。将監...

≫続きを読む

 

大草城 | 小牧市の中でも屈指の古いお城で城主は西尾式部道永

愛知県小牧市の大草城跡は、岩倉の織田伊勢守信安に仕えた西尾式部道永という人物の居城です。歴史大草城の築城は古く、戦国時代以前の文安年間(1444〜49)といわれています。大草城を築城したのはこの地の豪族だった西尾式部道永という人物です。ちなみにお城の規模は東西約200m、南北約135mほどだったとか...

≫続きを読む

 

余語氏館 | 宇治川の戦いで項をあげ織田敏定に仕えた余語盛政の館跡

愛知県小牧市の余語氏館(よごし やかた)跡は、余語盛政の居館跡と伝わる場所です。歴史余語盛政は戦国時代、尾張下四郡の守護代だった織田敏定に仕えた武将です。詳細は分かっておらず、余語氏がその後どうなったのかも不明です。感想余語氏館跡は、林町字下屋敷の道の傍らにありました。この場所だけ周囲よりかなり高く...

≫続きを読む

 

ホーム RSS購読 サイトマップ