美浜町・南知多町




美浜町・南知多町記事一覧

美浜町の詳細不明の城址と海防施設

かつての尾張国である、愛知県美浜町の詳細不明のお城跡をまとめてみました!上野間城【愛知県中世城館跡調査報告】によれば、現在美浜町立上野間小学校の体育館がある場所に『城山』と呼ばれる丘陵があったとのことですが、現在では削平されました。布土城水野信元の弟・忠分が天文年間に築いたお城です。忠分は兄・信元と...

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河和城 | 海を渡ってきた田原城主・戸田宗光が築城したお城

美浜町の河和城は、田原城主・戸田宗光が渥美半島から海を渡り築城したお城です。歴史河和城の築城時期については諸説があり特定できませんが、地元の『美浜町誌』によると長禄年間(1457〜59)に三河田原城主・戸田宗光が海を渡ってこの地に築城したとあります。その後、河和城は戸田氏が代々居城しましたが、最後の...

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奥田城 | 水野勝成が在城したお城

美浜町の奥田城址は緒川城(東浦町)の水野氏が築き、水野勝成が在城したといわれるお城です。歴史奥田城は緒川水野氏の一族・水野勝重が築き、後に水野日向守勝成が在住したとの記述が【尾張志】に見られます。戸田氏との勢力争いの拠点として使われたお城なのでしょう。一方【張州府志】では、佐治氏の在城との記述も見ら...

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細目城 | 美浜町大字野間にあった2つのお城

現在の知多郡美浜町大字野間には、かつて戦国時代に2つのお城がありました。それが城郭研究上で細目城A、細目城Bとして研究されています。歴史細目城は『尾張志』に細見氏河内守家盛が在城し、後に緒川水野氏のお城になったとの記述が見られます。細目城は近代地誌類に多く記されていますが、その場所については明らかに...

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南知多町詳細不明のお城と海防施設まとめ

かつての尾張国である、愛知県知多郡美浜町の詳細不明のお城跡をまとめてみました!山海城山城【愛知県中世城館跡調査報告W知多地区】によれば、岩屋寺の南にお城跡があったとか。詳細は不明です。山海城山城へは、細い農道?が通っており、今でも登る事ができますが、何しろ細い道なので車では無理です。曲がりくねった道...

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岡部城 | 室町時代に知多半島を治めていた一色氏の家臣・佐治氏のお城

愛知県知多郡南知多町の岡部城は、室町時代に知多半島を治めていた一色氏の家臣・佐治氏のお城です。歴史別名を馬場、内海城ともいう岡部城は、主家・一色氏を強引に追い出し、領地を奪った佐治宗貞が、いとこの佐治為縄を江州から招いて大永年間(1521〜27)に築かれました。佐治氏は一色氏から独立後、大野城(常滑...

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一色城 | 応仁の乱の頃まで知多半島南部を支配していた一色氏の居城

愛知県南知多町にあった一色城は、応仁の乱の頃まで知多半島南部を支配していた一色氏の居城です。歴史一色城の歴史は謎が多く、一説には三河吉良荘から知多へ進出した一色範氏が築いたといわれています。一色氏がこの地に勢力を持っていたのは応仁の乱の始まり頃までで、次第に家臣の佐治氏に圧迫され、衰退して行きました...

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千賀屋敷 | 江戸時代に尾張藩の船奉行だった千賀氏の屋敷址

愛知県南知多町の千賀屋敷は、佐治氏の家臣で江戸時代に尾張藩の船奉行だった千賀氏の屋敷址です。歴史戦国時代に幡豆崎城主だった千賀氏は、もともと伊予(愛媛)の出身で、為重の代に志摩国千賀(三重県鳥羽市)に移ります。そして一族は知多の須佐へ移住(豊浜)。そこで大野城(常滑市)を拠点にこの地に勢力を持ってい...

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幡豆崎城 | 知多半島最南端のお城

愛知県南知多町の幡豆崎城は、知多半島最南端のお城です。歴史幡豆崎城は南北朝時代に築かれたそうですが、築城者は千秋氏、季氏、蜂屋氏の説があります。【太平記】によれば、新田義貞の弟・脇屋義助が歴応三年(南朝・興国元年=1340)に美濃国の根尾城から73名の家臣とともに落ち延び、しばらくここに滞在して吉野...

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篠島城 | 篠島に残る義良親王ゆかりのお城

愛知県南知多町の離島・篠島には篠島城というお城跡があります。これは義良親王ゆかりのお城でもあります。歴史【篠島史蹟】によると、篠島城の城主は室賀左近太夫秋季とあり、古代中期の律令制時代(645〜957)篠島城の周辺には、現在よりも群島が多く、これらを支配していた者を篠島王といいました。その居城が篠島...

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