南知多町詳細不明のお城と海防施設まとめ




南知多町詳細不明のお城と海防施設まとめ

かつての尾張国である、愛知県知多郡美浜町の詳細不明のお城跡をまとめてみました!

 

 

山海城山城


【愛知県中世城館跡調査報告W知多地区】によれば、岩屋寺の南にお城跡があったとか。詳細は不明です。

 

 

山海城山城へは、細い農道?が通っており、今でも登る事ができますが、何しろ細い道なので車では無理です。

 

 

曲がりくねった道を上がり、頂上へ辿り着くと削平地がありますが、この周辺は畑地として開墾してあり、お城の遺構かどうかは分かりません。

 

 

 

 

 

鎌田屋敷


源義朝(源頼朝の父)の家臣・鎌田正清の屋敷跡と伝わります。

 

 

鎌田正清の屋敷跡と伝わる場所は、現在、知多新四国八十八ヶ所の第29番札所・正法寺(しょうぼうじ)になっています。

 

 

現状はお寺で、屋敷時代の遺構は残っていませんでした。

 

 

 

 

 

須佐城


【南知多町史】によると、源頼朝の家臣・須佐治部大輔為期が、戦功によりこの地を拝領したとの記載が見られ、師崎の千賀氏家老・川合氏の残した資料には、『千賀氏は熊野の出身で須佐の城に住み、その城は正衆寺の東方にある』みたいな記述が見られます。

 

 

また須佐城には『字鷲麦』と『字孫松』の二城説があり、お城の違いが年代の違いなのかもしれません。

 

 

須佐城は豊浜中学校の南にある『正衆寺』の東北にあったそうです。

 

 

現在は山林で、かなり険しく、なかなかの難所です。中には人工的な削平地がありましたが、近年まで畑として使われていたとのことで、お城の遺構かどうかは分かりません。

 

 

 

 

 

蜂屋屋敷


蜂屋城は延文五年(南朝・正平十五年=1360)大納言藤原隆資の家臣・蜂屋光経が南朝基盤強化のために、この地に派遣され、お城を築いたのが始まりです。

 

 

『蜂ヶ城』とも呼ばれる蜂屋城は、幡豆崎城の支城的役割を果たしていたお城でした。

 

 

蜂屋城の場所はバス停『美船前』の裏山で、山林となっていました。未だに『蜂ヶ城』の地名が残っています。

 

 

 

 

 

高木屋敷


江戸時代に築かれた知行900石お高木氏の屋敷跡。高木屋敷は利生院の東南にあったそうですが、現在では宅地にになっており、遺構は残っていませんでした。

 

 

 

 

 

内海砲台


嘉永三年(1850)に尾張藩が海防のために設置した砲台場。師崎の千賀氏による場所選定と、勘定奉行吟味役らの検分を経て、半年間で作られたそうです。

 

 

内海砲台は現在南知多町内海山尾の山林になっていますが、山林の中に土盛りや堀の様なものが残されています。

 

 

しかしかなり生茂っており、写真撮影も困難でした。この内海放題は愛知県内の現在確認できる唯一の砲台遺構ということです。

 

 

 

 

 

内海烽火台


かつて伊勢湾に面していた高峯山に烽火台があったそうです。詳細は不明。

 

 

内海烽火台があった場所は、現在南知多町内海高峯の公園となっており、狼煙台の遺構は残っていません。南側の国道247号線から見てみると、山頂にあったということがよく分かります。

 

 

 

 

 

大井烽火台


いつの頃に作られたのかは不詳ですが、地元では有名な烽火台。幕末の頃のものでしょうか。

 

 

大井烽火台は大井上苗代の山林の中にありました。近くに看板が建っていますが、入口付近には案内がなく、見つけるにはなかなか困難でした。

 

 

さて、肝心の烽火台ですが、四方に土塁が巡っており、この土塁の中で烽火を上げて合図する事になっていたのでしょう。

 

 

現在では【烽火台跡】の石碑と、烽火台の立面図と寸法を記載した碑が建っています。

 

 

 

 

 

師崎遠見番所


【張州雑誌】という本に所収されている「師崎眺望図」にニノ段後方に建物が一棟描かれているとのことで、これが師崎遠見番所ではないかという説があります。

 

 

師崎遠見番所とされる場所は南知多町師崎日影にあり、現在荒地になっており、人工的な削平地があるものの遺構はよく分かっていません。

 

 

 

 

 

師崎砲台(師崎烽火台)


安政元年(1854)頃、尾張藩によって築かれた砲台跡。近年まで土塁の様な土盛りもあったそうな。

 

 

師崎砲台跡地といわれる場所は、現在の南知多町師崎林崎の林崎公園周辺ということですが、現状は公園、宅地となっており、砲台時代の遺構は残っていません。

 

 

 

 

 

城洲参考地


岩屋寺の西方にある参考地。地名からして城館の可能性もあるとのことですが、詳細は不明です。

 

 

城洲参考地は現在山林になっており、頂上に削平地があるものの、城館の遺構かどうかは不明です。

 

 

 

 

 

大城(おおしろ)伝承地


鎌田屋敷を見張るための見張り台があったそうですが詳細は不明です。

 

 

大城(おおしろ)伝承地といわれる場所は現在、畑地、観光花園花ひろばになっており、遺構は残っていませんでした。

 

 

しかし近くに字矢倉という地名もあり、お城があった様にも思えますよね。

 

 

 

 

 

大城(でいしろ)伝承地


かつて見張り台の様な施設があったということですが、詳細は不明です。

 

 

大城(でいしろ)伝承地といわれる場所は、現在南知多町豊浜汐見台の畑地になっており、遺構は残っていません。しかし伊勢湾を見渡せる高台にあり、海防関連の施設があっても不思議ではない立地だと思いました。

 

 

 

 

 

城ノ山伝承地

 

【張州雑誌】の「日間賀島嶋国図」に城ノ山と記載されている場所。詳細は不明です。

 

 

城ノ山伝承地は現在南知多町日間賀常山の畑地になっており、お城らしい遺構は残っていませんでした。しかし日間賀島の西浜港近くにあり、海を見渡せる立地なので、海防関連の施設があったのかもしれません。

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