沓掛城 | 今川義元が桶狭間合戦前夜に泊まったお城
沓掛城はこの地の豪族・近藤氏の居城で、今川義元が桶狭間合戦前夜に泊まったお城です。
歴史
沓掛城は十四世紀初め頃に近藤三郎左衛門宗光が築城したお城といわれています。
以後、代々近藤氏が城主となり、第九代・春景の頃に戦国時代を迎えます。
春景は尾張の織田信秀に従っていましたが、信秀没後、息子の信長が織田氏を継ぐと将来に不安を覚えたのか、鳴海城の山口氏と共に今川氏に寝返ります。
その後、織田方に兵糧攻めされていた大高城を救うべく、今川氏は尾張国に侵攻し、桶狭間合戦の前日には、この沓掛城に宿泊しています。
そして義元は討ち取られ、春景もこの合戦で亡くなっています。
その後、城主は義元の本陣の位置を知らせた九之坪城主・梁田政綱、その子・太郎、そして信長の弟で中根南城主・織田信照、川口久助らが居城しました。
最後の城主・川口久助は慶長五年の関ヶ原合戦で西軍に属し、合戦後に伊達政宗にお預けの身となり、沓掛城は廃城になりました。
感想
現在は県の史跡の公園として整備されている沓掛城。その昔、今川義元はどんな夢を見て眠りについたのでしょうか?
公園内は、昔の本丸周辺だけとはいえ、堀・土塁もしっかり確認できます。こういう保存の仕方は嬉しいですね。
春には桜が咲き、また休日には、地元の少年野球チームが練習にくることもあります。
豊明市史によると、1981〜84年にかけて、合計4回の発掘調査が行われました。
この時にタイやスズキ、コイ等の魚骨をはじめ、キジ、ニワトリ、鹿、うさぎなどの骨や貝殻も多数出土しており、城内に住んでいた武士が食べたものと思われます。
入り口の案内版にて。現在の沓掛城は、地元の保存会の方々の尽力により、美しい公園となっています。
本丸をぐるりと取り囲む土塁。3m位でしょうか?良好に残っています。
桜の名所としても、知る人ぞ知る沓掛城。季節になるとたくさんの人で賑わいます。
時期は4月上旬から15日くらいまでですね。
沓掛城の西にある正福寺の西を流れる川は、かつて沓掛城の西側を守った堀跡と伝わります。
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