福釜城 | 徳川家康を支えた親盛を祖とする松平氏一族のお城




福釜城 | 徳川家康を支えた親盛を祖とする松平氏一族のお城

 

 

愛知県安城市の福釜城は、徳川将軍家の親戚である福釜松平氏の居城です。

 

 

※福釜の読みは ふかま

 

 

 

 

 

歴史

 

松平宗家の五代、長親の子・親盛が築城したお城で、福釜松平を称したのが始まりです。

 

 

初代・親盛は松平清康(徳川家康の祖父)に従い、享禄三年(1530)東三河の宇利城(現・新城市)を攻めましたが、討死してしまいます。

 

 

二代・親次は槍の名手で、三河一向一揆の際、松平方として活躍しました。

 

 

三代・親俊も父とともに三河一向一揆で活躍し、妻が長篠奥平氏の娘であったので、後に長篠城に籠もり武田氏と戦っています。

 

 

四代・康親は家康に従い各地を転戦、家康の関東移封・関ヶ原を経て福釜の地に戻り、以後は旗本として幕末まで続きました。

 

 

ちなみに五代・康盛の隠居地が、福釜城の近くにある福釜古屋敷と伝わります。

 

 

 

 

 

感想

 

福釜松平氏の拠点・福釜城は現在宅地となり、お城の遺構は残っていませんが、かつて城内にあったと伝わる祠が今でも個人宅の片隅にありました。

 

 

屋敷の方のお話では、以前はとても大きな【盛土】の上にあったとの事ですが、整地したため、現在の場所に降ろしてあるそうです。

 

 

【盛土】とは、土塁もしくは物見台だったのでしょうか?

 

 

私の感想ですが、現地に城ゆかりの石碑が建っていると、お城巡りの基準というか、目的地みたいになって非常に助かると思いました。

 

 

その理由は、写真ひとつ撮るにしてもお城跡と分かるものが何か欲しいからです。

 

 

福釜城みたいにゆかりの石碑があると良いですね。

 

 

また福釜城址と隠居地の福釜古屋敷の距離が思ったより離れているのには驚きました。これはそれだけ福釜松平氏の所領が広かったという事でもあるのでしょう。

 

 

 

 

 


かつてお城のあった頃から伝わる祠。福釜城の歴史を見守ってきたのでしょうね。

 

 

 

 

 


こちらは福釜城主の隠居所であった福釜古屋敷の堀跡。現在個人の宅地となりましたが、屋敷の北側に堀跡と伝わる遺構があり、近隣との高低差もハッキリ残っていました。

 

 

屋敷の方の話では、かつて土塁の様なものもあったとか。

 

 

所在地 安城市福釜町

 

立地 平城

 

築城時期 永正年間(1504〜20)

 

築城者 松平親盛

 

主な城主 福釜松平氏

 

現状 宅地・畑地


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