愛知県北名古屋市の詳細不明のお城まとめ




愛知県北名古屋市の詳細不明のお城まとめ

愛知県北名古屋市の詳細不明のお城をまとめてみました!

 

 

旧師勝町、旧西春町が合併して誕生した北名古屋市は、濃尾平野という事もあり、存在したお城は全て平城です。

 

 

研究が進み、これらのお城の詳細がわかる様になると良いですね。

 

 

 

 

 

 

熊之庄城

 


旧師勝町にあったといわれる熊之庄城は室町時代の溝口氏の居城といわれています。

 

 

溝口氏は、もともと尾張国溝口(現・稲沢市)に起こり、後に美濃国(現・岐阜県)に移り、美濃大桑の地頭職となり、再び尾張へと戻ってきました。

 

 

熊之庄城跡と伝わる場所は、北名古屋市の日光寺の北と資料にありますが、現在は住宅地と化し、お城の遺構は残っていません。

 

 

 

 

 

 

鹿田城

 

旧師勝町にあったといわれる鹿田城は室町時代の尾張守護・斯波氏の家臣、大口右京進の居城といわれています。

 

 

鹿田城跡と伝わる場所は、県道451号線の信号『鹿田』の西南約100mのところで、現在は住宅地として開発され、遺構は残っていません。

 

 

 

 

 

 

魚住城

 

旧師勝町にあったといわれる魚住城は、尾張名所会図という書物に『三河に鳥居、尾張に魚住とて魚鳥一対にせし勇士なり』とあります。

 

 

この鹿田地区に魚住姓は見当たりませんが、隣の弥勒寺(みろくじ)地区には、魚住姓の方がたくさん住んでいました。

 

 

推測ですが、昔この鹿田地区には、魚住氏のほかに、大口氏(鹿田城)も住んでおり、なんらかのイザコザがあったのでしょう。

 

 

そのため魚住氏は弥勒寺に移り住んだと思われます。

 

 

【尾張志】に、魚住城は『今は畑となる』と記載がありますので、江戸時代に既に畑となっていた事が分かります。境内の墓地を歩いていると、魚住姓の墓石がチラホラあり、魚住家とのつながりを思わせます。

 

 

 

 

 

 

野崎城

 


旧西春町の野崎城跡は文献・伝承ともになく、『城屋敷』の地名だけが残る場所です。野崎城跡と伝わる場所は、三洋機工の約北200mの所です。

 

 

周辺の開発をよそに山神様がポツンとありました。お城の本丸を示す場所に、山神様が祭ってある事は多くあるので、まわりの田んぼより少し高くなっているこの場所に本丸があったのかもしれません。

 

 

しかし地図をよく見てみると、この山神様がある場所の字名は『山神』。その西隣が『城屋敷』なのです。もしかすると、この山神様は、移されたものかもしれません。

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