萩原城 | 豊臣秀次の父・三好吉房の居城




萩原城 | 豊臣秀次の父・三好吉房の居城

 

 

愛知県一宮市の萩原城は、後に関白となる豊臣秀次の父・三好吉房の居城と伝わります。

 

 

江戸時代には徳川義直の御茶屋御殿がこの周辺に建てられました。

 

 

 

 

 

 

歴史

 

萩原城の城主は、秀吉の姉婿・三次吉房(入道して三位法印一路)という人で、関白・豊臣秀次の実父です。

 

 

この人の出自や素性には諸説があり、若い頃は弥助と名乗っており、名字を持たない最下層の庶民、大工、鍛冶、馬貸し、馬丁だったともいわれています。

 

 

ちなみに現在のあま市にも彼の屋敷跡といわれるものがあり、そこが秀次の生誕地という説もあります。

 

 

さて、義弟である秀吉と共に各地を転戦した吉房は、天正十八年(1590)秀次が尾張を領した際、吉房は尾張で十万石を与えられ犬山城に居城しました。

 

 

しかし秀次が合戦や関白の職務として不在がちであったため、ほとんど清洲で国政を執っていたようです。

 

 

その後、滋賀県の近江八幡城を居城にしていましたが、文禄四年(1595)秀次の失脚に連座して領地を失い、讃岐へ追放されました。

 

 

この事から萩原城があったのは、秀次が尾張を領していた数年間と考えられます。

 

 

ちなみに江戸時代になると、徳川義直の御茶屋御殿が萩原に建てられますが、一説によると萩原城の跡地、もしくは近くだったといわれています。

 

 

 

 

 

 

感想

 

かつての萩原城は、現在の萩原町萩原御茶屋周辺にあったといわれますが、開発が進んでお城時代の遺構らしきものは残っていません。

 

 

私の感想ですが、萩原は江戸時代に美濃路の萩原宿が置かれた場所で、交通の要所でしたが、戦国時代にも美濃に通じる街道みたいなものがあったのかもしれません。

 

 

そう考えると、萩原城も交通の要所にあったお城だったのでしょう。

 

 

所在地  一宮市萩原町萩原御茶屋

 

立地  平城

 

築城時期 ?

 

築城者 ?

 

主な城主 三好吉房

 

現状  住宅地

 

地図


関連ページ

一宮市の詳細不明のお城まとめ
愛知県一宮市の詳細不明のお城をまとめた記事です。
光明寺城 | 神戸伯耆守が築城し山田半兵衛が居城したお城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の光明寺城は、神戸伯耆守が築城し山田半兵衛が居城したお城といわれています。
大野城 | 大坂の陣で活躍した大野修理亮治長ゆかりのお城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の大野城は、大野修理亮治長の祖父・治定が築城したとされ、大坂城の重臣である大野治長ゆかりの城として知られています。
河田城 | 小牧長久手合戦で使用された羽柴方のお城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の河田城は、小牧長久手合戦で使用された羽柴方のお城として伝わります。城主は稲葉氏で、合戦後もしばらく残されていたそうです。
奥城 | 織田信長、信雄、秀信に仕えた梶川高盛の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の奥城は、織田信長、信雄、秀信に仕えた梶川高盛の居城と伝わります。またこの近くに前田慶次の親友として作品に描かれた奥村助右衛門の生誕地である貴船神社も残っています。
馬寄城 | 織田信長に仕えた武藤弥平兵衛の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の馬寄城に関する記事です。城主は 織田信長に仕えた武藤弥平兵衛という武将でした。
宮後城 | 野府城の坪内一族のお城という説があるお城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の宮後城は、野府城の坪内一族のお城という説があるお城です。その現状と歴史を説明した記事です。
一宮城 | 真清田神社の神官だった関一族の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の一宮城は、真清田神社の神官だった関一族の居城です その歴史と現状をレビューした記事です。
毛受城 | 苅安賀城の浅井一族の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の毛受城は、苅安賀城の浅井一族の居城として伝わります。城主の名前は浅井玄蕃という人で、浅井新八郎の家老もしくは弟とも。そんな毛受城跡の現地の様子と感想も書いてみました。
苅安賀城 | 織田信雄の家老だった浅井田宮丸長時の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の苅安賀城は織田信雄の家老だった浅井田宮丸長時の居城といわれています。現在は苅安賀自動車学校になっていますが、そんな苅安賀城の現状と感想を書いてみました。
鵜飼民部屋敷 | 織田信長に仕えた鵜飼民部清重の屋敷跡
かつての尾張国だった愛知県一宮市の鵜飼民部屋敷は、かつて織田信長に仕えた鵜飼民部清重の屋敷跡といわれます。また高木城と同一という指摘もあるお城です。
東宮重城 | 織田信雄の家臣・酒井新左衛門が築城したお城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の東宮重城は織田信雄の家臣・酒井新左衛門が築城したお城といわれています。この記事ではそんな東宮重城の歴史と現在の状況をレポしてみました。
中島城 | 戦国時代以前に中島郡を支配した中島氏の居城跡
かつての尾張国だった愛知県一宮市の中島城は、戦国時代以前に中島郡を支配した中島氏の居城跡と伝わります。この記事ではそんな中島城の歴史と現在の城跡の様子を私の感想と共にレポしてみました。
時之島城 | 城主は日根野頭形兜を考案した日根野弘就
かつての尾張国だった愛知県一宮市の時之島城の城主は、日根野頭形兜を考案した日根野弘就という武将です。斎藤氏、織田氏、豊臣氏に仕え各地を転戦しました。
下奈良城 | 小牧長久手合戦で羽柴方の最前線になったお城のひとつ
かつての尾張国だった愛知県一宮市の下奈良城は、小牧長久手合戦で羽柴方の最前線になったお城のひとつです。
大赤見城 | 城主は戦国時代以前の織田弾正左衛門勝久、久長親子
かつての尾張国だった愛知県一宮市の大赤見城は、戦国時代以前の織田弾正左衛門勝久、久長親子の居城と伝わります。
浅野城 | 豊臣家五奉行筆頭の浅野長政の屋敷があった場所
かつての尾張国だった愛知県一宮市の浅野城は、豊臣家五奉行筆頭の浅野長政の屋敷があった場所です。
小山城 | 小牧長久手合戦時の織田・徳川連合軍の砦
かつての尾張国だった愛知県一宮市の小山城は、小牧長久手合戦時の織田・徳川連合軍の砦と伝わります。その後、平岩親吉が居城したとも、平岩太左衛門が居城したという説もあります。
三ツ井重吉城 | 三井高久、尾藤源内重吉の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の三ツ井重吉城は、室町時代の尾張守護である斯波氏の家臣・三井高久の居城であり、後に岩倉城主・織田信安に仕えた尾藤源内重吉の居城ともいわれています。
兼松屋敷 | 信長から足半をもらった兼松正吉の屋敷跡
かつての尾張国だった愛知県一宮市の兼松屋敷は、織田信長から足半をもらった兼松正吉の屋敷跡です。
長谷川屋敷 | 信長と秀吉に仕えた長谷川秀一の生誕地
かつての尾張国だった愛知県一宮市の長谷川屋敷 に関する記事です。この地は織田信長と豊臣秀吉に仕えた長谷川秀一の生誕地といわれています。
野府城 | 織田信秀の五男で信長の弟・織田九朗信治の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市(旧尾西市)の野府城は、織田信秀の五男で信長の弟・織田九朗信治の居城といわれているお城です。この記事では、そんな野府城の現状をレポしてみたいと思います。
吉藤城 | 織田信長の家臣・遠藤三郎衛門の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市(旧尾西市)の吉藤城は、織田信長の家臣・遠藤三郎衛門の居城といわれるお城です。そんな吉藤城に行ってみた時のレビュー記事です。
坪内城 | 勧進帳で有名な富樫左衛門尉の子孫・富樫氏の居城跡
かつての尾張国だった愛知県一宮市(旧尾西市)の坪内城は、勧進帳で有名な富樫左衛門尉の子孫・富樫氏の居城です。そんな坪内城の歴史と行ってみた感想をまとめてみました。
黒田城 | 山内一豊の生誕地といわれるお城
かつての尾張国だった愛知県一宮市(旧木曽川町)の黒田城は山内一豊の生誕地といわれるお城です。そんな黒田城の現状を現地をレポしてみた感想を書いています。
割田城 | 清和源氏の血を引く一族・開田氏の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市(旧木曽川町)の割田城に関する記事です。城主は清和源氏の血を引く一族・開田氏といわれており、現在は公園になっています。その城跡のレビュー記事です。

ホーム RSS購読 サイトマップ